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カッコよすぎる・・・

YouTubeを何気なく聴いていて、この曲カッコよすぎる・・・
と思った曲。
エチュードなんですけどね。
スクリャービンなんて正直ワケわからんと思っていました。
あんまり馴染みが無かった。
難しそうで・・・(楽譜見たら案の定激ムズなんですけど・・・)
これもいつかは・・・いつかは・・・

ところでいろんな人のバラード聴いてみて、バラードもホロヴィッツのバラードが一番好きかも。と思った。

やっぱりスゴイ・・・何この存在感…

スクリャービンエチュードop.8-12


ショパン バラード1番


素晴らしい演奏を聴き、ピアノの練習へのテンションが上がっております!!
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1曲をじっくり取り組む?複数曲の取り組みをする?

私は1曲の完成度が低いというのが悩みの種で、(モチロン他にもいろいろ悩みがありますが)
なんでかというとモチロン技術的な事があるのと、多分、飽きっぽいという事があると思います。
なので極稀にスイッチが入る時は頑張るんですが、基本的に『なかなか上手く行かないなぁ~~』と思い始めると、
『あーあ、やんなっちゃった!!あ~~~~~!!』と、投げ出してしまう事もあります。
何と言う根性ナシでしょうか。
・・・と、自分で書いていて悲しくなりました(;'∀')

例えば根性ナシには「どんなに気持ちが乗らなくても1日1時間練習」と、目標を立てたとしても続きません。
また、飽きっぽいのに「その曲に飽きてしまったとしても練習は続けなくてはいけない」と決めても難しいでしょう。
 
某SNSで練習についてとてもいいなぁと思った記事をシェアしてくださった方がいて紹介しますね。

本番の緊張に負けてしまう危険が高い練習のやり方とは?


好きこそ物の上手なれ、と言いますが、

弾きたいって思った気持ち。
この曲が好き、いいなぁって思う気持ち。
この曲素敵!と感じる気持ち。

それが段々『練習しなくちゃ!!』って思って練習がどんどん嫌になってきてしまったり、苦しくなってくる→更に楽しくない、練習したくなくなる
この負のループ。

それはみんな『少しでも上手って思われたい』とか『舞台で恥をさらしたくない』『完璧に弾きたい』
とかいう、なんかそういう見栄から来てるんですよね、私。

上手になりたいと思うのは向上心だから必要かもしれないし、ピアノやってる以上当たり前の気持ちだけど、『上手と思われたい』って完璧に見栄ですよね(^^;

というわけで基本的に楽しく弾いていきたい、そして曲に対する感動を失いたくない、
私の場合、それはいくら上手に弾けないからってその曲だけを練習する事じゃないなって。

ある程度新鮮な気持ちを維持するためにも、楽しみの1つとして今まで通り他の曲も弾いていこうかなと思ってます。

完成度に関しては…どうなんでしょう?
まぁ、この性格ですから低いままかもしれませんが、腐ることなく『好き』の情熱を失わないように弾いて行ければなぁ。

いろんな曲との向き合い方があると思います。
もちろん、1曲集中してやっていくやり方も全然ありだと思います。
これはあくまでも私個人の楽しみ方ということで。


暗譜問題

私はどうもなかなか暗譜出来ない人みたいです。
弾いてたら自然に覚えちゃったー、と言うことは殆どありません(T-T)
いいなぁ、覚えられる人。
かれこれ半年弾いてた大洋だって、フーガト短調だって結局暗譜できず強制終了。
バラードも本当は暗譜できるならしたいけど無理そう…この調子だと楽譜をそのまま持っていくかコピー譜をもっていくかになりそう。
でもコピー譜は14ページ?!とかになっちゃう。なんとか譜めくりを減らすように考えているけど…
そろそろコピー譜を作らないと、急にコピーで弾こうとしてもムリなんですよね。
見る場所が違うのですごく戸惑うんですよ(;´д`)
つくづくガン見しながらじゃないと弾けないのね、と悲しくなるわ…

耳から音楽に入れる人が羨ましくなる瞬間です。

視覚優先とか聴覚優先とかあるけど、私は視覚優先のヒトなのかもしれません。
でもそういうサイトで自己診断しても視覚優先とかバッチリ出る訳じゃないんですよね。
ただ、視覚の方が理解しやすいのできっと視覚優先のヒトだと思ってます。

例えば私は人の話を聞くのがニガテなんですが、(仕事でも、『これとそれやってから、あれをこうして』なんて言われると結構困ります。記憶の問題もあるのかも)
メモかなんかに書けばすぐにわかります。
人がたくさん居る場所で友達の話を聞き取るのも実はニガテ。時々言ってることがわからなくなる時あります。特に小さい声とかはほんと、無理。周囲の声に紛れてほとんど聞き取れないです。
他の人は聞こえているらしく、反応してるので今さら『なに?なに?』って聞き返すのも悪いしなぁと思ってやり過ごしてしまうこともあります。

後、聞こえていても内容がなかなか理解できない事もあります。(それって…おバカなだけ??)
違う事考えてたりとか(妄想?(^^;)ボーッとしてるとかそういうことかもしれませんが。

以上の事が暗譜のできなさともしかしたら関係あるかもしれません。
(関係ないか…ただ単に歳だからかもしれないけどっ!)

教えるということ その2

教えるという事の記事を書いていて思いだしたことがありました。

今まで何人かの先生に教わってきましたが、皆さん音大のピアノ科を出られておられる先生でした。
私自身は音大とか全く縁の無い人間で、最初にピアノを習ったのも小学校の5年生という事で、一番最初の先生に初めてお会いした時に
「音大受験を考えられていますか?だとすると今から始めたのではかなり遅いんですが」と、先生が付き添いの母に聞き、母は「いえ、趣味で結構です」と答えた事が印象に残っています。
私はそのやり取りを横で聞きながら、
「あ~そうなんだ~、音大って5年生からじゃ遅いんだ~~」
なんてぼんやり思ったことも覚えています。
でも、やはりその頃の(今でもかもしれませんが)音大ってそれだけ覚悟しないと入れないくらい狭き門だったのでしょうね。

話が脱線しましたが、そういうわけで私の頭の中では「ピアノの先生=音大出身」の図式がありました。
だって音大出ていないのに、音大を目指す人を指導できるとは思わないですし、音大に入るためのノウハウというのがあると思うので、経験者じゃないとそのノウハウを教えられないでしょうから。
学校の先生だってそうですよね。大学まで出て教員の免許も取らなくちゃできない仕事です。
つまり、生徒がこれから歩むであろう道のりを最低限でも歩いてきた人だからこそ生徒の悩みに応えられるはずだ・・・って思っていました。

ところが10年以上前に見たTVで、今までの私の考えを覆すような奇跡的な再現ドラマがありました。
アメリカのある大学のアメフトチームに、車イスのコーチが来たんですね。
アメフトの経験は無かったけれど、アメフトか好きでどうしてもコーチになりたかった方だったと思います。
最初チームの選手は彼のアドバイスなんて聞こうとしませんでした。だって経験も無い人の言うことなんて普通は聞けないですもんね。
仕方ないのでそのコーチはグランドの石拾いをする毎日だったそうです。
そんな日々を続け、少しずつ仲間として受け入れられてきたある日、ある選手にアドバイスをしたら、その選手の成績が良くなり、そのコーチはついにはプロのアメフトの選手を育てる程になったという話。

私は最初、経験の無いそのコーチが的確な指示を出せるなんて思いもよらなかった…それは指示される学生の従いたくない気持ちがよくわかりました。私がその学生だったら絶対に認めないだろうなって思いました。
でも…こんな事ってあるんだなぁと…(それが奇跡的なことだからこそ、番組として成り立つわけだけど)
なんだか私の中の常識というのか当たり前な感覚が覆されたような気持ちになったんですね。
だから10年以上前の放送なのにいまだに覚えているんですが…

よく、素晴らしいプレイヤーが素晴らしい指導者になるとは限らないと言いますけど、その逆?も有りなんだって思いました。

ただし、やはりこの場合、コーチが選手達に良いプレーをして貰いたいという熱意があったわけですよね。自分のアドバイスで絶対に良くなるから信頼して欲しいという気持ち。
それは選手にただ上から目線でダメだしすることではなく、選手のためにチームのために少しでもお手伝いをしたいという心があっての事ですよね。
それが選手に伝わったからこそ、車イスのコーチのアドバイスを受け入れたわけです。

だからやっぱり人にモノを教える人には相手に対して『今よりもっとこうすればより良くなる、なって欲しい』っていう気持ちが必要なんだと思います。
そういう気持ちが上手く表せる人と表せない人がいるかもしれませんけど…
欠点の指摘だけでは人は付いて来ないでしょうね。

教えるということ

どんな事でも人に教えるって大変なことですね。

ピアノの先生ももちろんですが、学校の先生はブラックと良く言われてる通り、残業残業、休日出勤、部活や学校の活動の引率…
本当に大変だろうなぁと思います。
生徒に興味を持たせつつ、分かりやすく教える。それだけでも想像がつかないくらい大変な事。
それに趣味の先生と違って学校の先生は最低1年間は顔突き合わせるわけだし、相性悪いから担任代えてくださいってわけにもいかない。
特に小学校は担任の先生との相性が学校生活のクオリティを決めるって言って良いくらいですね。
ほぼ一日中関わりがありますし。

ピアノの先生は一部の方を除けばいわゆる『趣味』という範疇だと思いますので、習い始めてどうしても合わないなぁと思えば止めるなり、先生を代えてもらうことも可能かなと思います。
ただ、生徒からのアクションは受け入れざるを得ないと思うけど、逆パターンは難しいかもですね。
例えば、先生が生徒の事を『合わない』と思う場合とか…これはあまり無い事例かも知れませんけど。
月謝を貰う以上は教えなくてはというのがあるだろうし、合わないなぁと思っても『辞めてください』とは言いにくいだろうし…。どんなに合わないなと思っても仕事と割りきってる先生も多いんだろうなぁと思います。

私は人にモノを教えるという事が全く向いてない人という自覚がありまして、正社員だった頃も教える立場になったことがありましたが、残念ながら喜びを感じたことは無かったですね。
だから子供に何かを教えるというのも特に勉強なんか本当に無理だし、そもそも親か勉強を教えても親子共感情的になるだけで得るものは少ないのかなぁ?って思っています。
これはあくまで私の考えなので、もちろんそうではない親子さんもたくさん居ますよね。
そもそも私自身が親に勉強やピアノを教えられた事が全く無いので、自分が子供に教えるなんて事も正直頭に浮かばないっていうのか…
でも、周りのお母さん達を見てると今はしっかり?親が子供について教えたりするのが当たり前みたいな風潮ですね、最近は。

『教える』ということは、最低でも教える側は『完全に出来る(クリアしてる)』という事が最低条件のような気がするんですよね。いう
例えば「スケールはこうやって弾きましょう」と言ったとして、先生のスケールがガタガタだったらどうでしょうか?
「フレーズはこうやって歌って」って弾いてくれた所が「ワァ素敵!」っていうのじゃなくて「え??なんか雑だけど??」って素人が聞いて疑問感じる演奏だったら?
説得力無いですよね。
むしろ「素人だと思って手抜きしてますか?」って思ってしまいます…。(いやそんな先生、滅多には居ないでしょうが)
私はずっとそう思ってきました。
もしくは精神的に助けてあげられる…というのかな。
…でも、実際のところどうなんでしょう?
学校の先生もそうたけど、趣味の先生も生徒に対してある程度の愛が無いと出来ないと思うんですよね。
お金だけで割り切るとか、なかなかそれだけじゃ出来ない仕事かなあと。(中にはそういう人もいるかもだけど)
上手く出来ない気持ちをわかってくれて、でもその上手く出来ないところをどうやったら出来るようになるのか一緒に考えてくれる、お手本を示してくれる、手を取って具体的に教えてくれる…
ただ、できてないところを指摘するだけ(私は過去にそういうレッスンを単発で受けたことがあります)のレッスンではないレッスン。
愛があるレッスンってつまりは先生が工夫して具体的なことを教えてくれるレッスンだと思うんですよね。

記念日

プロフィール

ね~み♪

Author:ね~み♪
子供の頃習っていたピアノ。
2013年より25年ぶりに再開、
2014年3月より先生について習い始めました。
夫と二人の子供がいるアラ50です。

♪ただいま練習中♪

ハノン スケール
ブラームス 間奏曲Op.117-2
ショパン バラード1番

♪寝かせ中♪(掘り起こすかも?)

ショパン エチュードOp.25‐12
バッハ フーガト短調

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