2014.07.29
私なりの「ノクターン」
発表会まであと、1ヶ月と少し。
ショパンの「ノクターンop.9-1」は、私にとって少し思い入れのある曲です。
昔ピアノを習っていた時の発表会で、私の後の方が弾いていた曲。
その時、私は「大人の曲だな~」なんて思ったものです。
当時フー・ツォンというピアニストのノクターン集のレコード(^^;を持っていて、
情感たっぷりに奏でる演奏が好きで、よく聴いていました。
楽譜も持っていましたが、それを弾こうとはなぜか思わなくて…。
(その頃は速い曲が弾きたくて。。。若かったからかな(^^;)
発表会のその方の弾いてらした「ノクターン」
その時思ったんです。
いつかこの曲は絶対に弾こうって。
ピアノを再開した時、一番最初にレッスンしてもらいたかったのはこのノクターンでした。
でも、全然まだ弾けてなくて、レッスンに持っていくような状態では無く。
他の曲を見てもらいながら家で自主練。
そこそこ通しで弾けるようになってから、レッスンに。
私の場合、まあまあ通しでなんとなく弾ければ先生はOKしてくれるのでこの曲もすぐに終わってしまい、
(私の希望で超ユルイレッスンなのよね。)
今思えばとても不完全な(仕上がったとは思えないレベル)形だったけど、
私自身はその頃「ちゃんと弾けた!OK!」って思ってました(^^;
その後、ほかの曲をやったり、皆さんのブログを拝見したり、曲を聴かせていただいたりしてるうちに
1曲を追求する事の大切さを感じるようになってきました。
先生のおっしゃる事「機械的に弾かないで、歌いましょう」という意味も少しづつ理解できるようになってきました。
以前も書きましたが、考えてみればずっと上っ面だけで「弾けた!」って思ってきたな…と改めて思いました。
たまたま録音したその頃(ノク1をレッスンしてた頃)の曲を聴いてみました。
一言で言えば感情ナッシングでした。(なんでここだけ和製英語?)
「弾けてるじゃん?」
でも、やっぱり先生が言う「機械的」。。。確かになあ~、機械的だわ。すごく納得。
弾く時何も考えてないもん。
私が「ノクターンop.9-2」を先生の前で1回だけ弾いた時、先生が私の真似をして弾いてくれたっけ。
「ね~みさんの弾き方って、はい、ここクレシェンドだから大きく~、次装飾音だから!はい、(装飾音)弾きました!」
その演奏の似てることといったら!(^^;
ノクターンなのにパキパキした感じが、もうソックリで。
音楽だから表現は無限にあるとは思うんだけど、(それを個性というのだろうけど)
それは自分がこういう表現をしたいって思いから来るものであって、
私はそういう「思い」があるわけでなく、ただ、何も考えずに音符をなぞっているに過ぎないんだなあ~
と、そこで初めて、このままじゃダメなんだって気づいたというか。
発表会でこの曲を弾くにあたって、細かいところをたくさん直してきました。
もしかしたら、初めて、「私はこの曲をこういう風に弾きたいんだ」とすごく考えた曲かもしれません。
これからもどう変化していくのか、現時点ではまだわからないですけど
これが今の私なりの「ノクターンop.9-1]です。(前置き長!!)
ショパンの「ノクターンop.9-1」は、私にとって少し思い入れのある曲です。
昔ピアノを習っていた時の発表会で、私の後の方が弾いていた曲。
その時、私は「大人の曲だな~」なんて思ったものです。
当時フー・ツォンというピアニストのノクターン集のレコード(^^;を持っていて、
情感たっぷりに奏でる演奏が好きで、よく聴いていました。
楽譜も持っていましたが、それを弾こうとはなぜか思わなくて…。
(その頃は速い曲が弾きたくて。。。若かったからかな(^^;)
発表会のその方の弾いてらした「ノクターン」
その時思ったんです。
いつかこの曲は絶対に弾こうって。
ピアノを再開した時、一番最初にレッスンしてもらいたかったのはこのノクターンでした。
でも、全然まだ弾けてなくて、レッスンに持っていくような状態では無く。
他の曲を見てもらいながら家で自主練。
そこそこ通しで弾けるようになってから、レッスンに。
私の場合、まあまあ通しでなんとなく弾ければ先生はOKしてくれるのでこの曲もすぐに終わってしまい、
(私の希望で超ユルイレッスンなのよね。)
今思えばとても不完全な(仕上がったとは思えないレベル)形だったけど、
私自身はその頃「ちゃんと弾けた!OK!」って思ってました(^^;
その後、ほかの曲をやったり、皆さんのブログを拝見したり、曲を聴かせていただいたりしてるうちに
1曲を追求する事の大切さを感じるようになってきました。
先生のおっしゃる事「機械的に弾かないで、歌いましょう」という意味も少しづつ理解できるようになってきました。
以前も書きましたが、考えてみればずっと上っ面だけで「弾けた!」って思ってきたな…と改めて思いました。
たまたま録音したその頃(ノク1をレッスンしてた頃)の曲を聴いてみました。
一言で言えば感情ナッシングでした。(なんでここだけ和製英語?)
「弾けてるじゃん?」
でも、やっぱり先生が言う「機械的」。。。確かになあ~、機械的だわ。すごく納得。
弾く時何も考えてないもん。
私が「ノクターンop.9-2」を先生の前で1回だけ弾いた時、先生が私の真似をして弾いてくれたっけ。
「ね~みさんの弾き方って、はい、ここクレシェンドだから大きく~、次装飾音だから!はい、(装飾音)弾きました!」
その演奏の似てることといったら!(^^;
ノクターンなのにパキパキした感じが、もうソックリで。
音楽だから表現は無限にあるとは思うんだけど、(それを個性というのだろうけど)
それは自分がこういう表現をしたいって思いから来るものであって、
私はそういう「思い」があるわけでなく、ただ、何も考えずに音符をなぞっているに過ぎないんだなあ~
と、そこで初めて、このままじゃダメなんだって気づいたというか。
発表会でこの曲を弾くにあたって、細かいところをたくさん直してきました。
もしかしたら、初めて、「私はこの曲をこういう風に弾きたいんだ」とすごく考えた曲かもしれません。
これからもどう変化していくのか、現時点ではまだわからないですけど
これが今の私なりの「ノクターンop.9-1]です。(前置き長!!)
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