ピアノって人それぞれでいいんだと思う。
絶対にツェルニーをしなければならない、ハノンをしなければならない、インベンションをしなければならない、ソナタを弾かなければならない、楽典勉強しなければならない、先生につかなければならない、なんてことは無いと思う。
極端な事を言えば楽譜が読めなくたって、両手で弾けなくたって、ピアノが無くたって良いんじゃないかと思う。
バッハが嫌いだってショパンが嫌いだってクラシックが嫌いだって別にいいのでは?
趣味のピアノに
「~でなければならない」って事はほぼ無いと思う。
あるとしたら、「他人様に迷惑をかけてはならない」くらいではないかな?
例えば私は先生についてピアノを習ってるけど、別に先生につかずにピアノ弾いてる人の事をとやかくいう事はない。
その人なりの信条や物理的にレッスンに通えないとか単純に先生に習う気持ちが沸かない、必要性を感じない等それぞれあるかもしれないし。
それに私はショパンが好きだけど、「ショパン嫌い」って人の気持ちも少しわかる。バッハも好きだけど「バッハ嫌い」って言うのもすごくわかる…気がする。
私はツェルニー30番はまあまあ好きだったけど40番には馴染めなかった。結果として40番相当の?実力?なんてものは身に付いてないと思われる。
でもツェルニーが大好きと言う人が居てもそれはそれで別に構わないし(当たり前だけど)むしろすごいな~!と心底思う。
間違っても「私だってツェルニー途中で止めたんだからあなたも止めた方が良いよ」なんて言わない。
だってその辺の価値観は人それぞれ。ツェルニーが楽しかったらすればいいと思うしどうしてもいやだったら止めればいい。
例えばピアノ始めて1年も経たない人が「ラ・カンパネラを弾きたい!」と言って真剣に練習し始めたら諦めさせるんじゃなくて応援する。
だって演奏する曲を自分で決定する権利は誰にだってあると思うし。
子供、もしくはまだまだお若い方は先生のお考えにもよるかもしれない。
でも良い歳をした大人(おそらく生きてきた年数よりもこれからの年数の方が少ないと思われるような)が先生に弾く事を止められるとか誰かに水を差されるような事はなんだかな?と思ってしまう。
自分のレベル?に合わないからって弾きたい曲を弾いちゃいけないの?
その人なりに真剣に取り組んでも「作曲家に対して失礼」な演奏になるのだろうか?
そもそも作曲家に失礼な演奏って一体どういう事だろう?
もし作曲家が生きていて、その演奏を聴いた時に
「何と失礼な!!」(怒)
そういう演奏ということだろうか?(だからどんな演奏?)
それこそクラシック作曲家であればほとんどの方がお亡くなりになっていらっしゃるわけで、失礼かどうかは想像するしかないのだけど。
それよりも、これはあるピアノ友さんが言っていたのだけど
「作曲家だってたくさんの人達が自分の曲を弾いてくれた方が嬉しいに決まってるよね」
と。
世の中いろんな考えの人が居ていいと思う。
だから、「作曲家に失礼」と思う人が居たってそれは自由かもしれない。
でも、それはご自分のブログとかSNSとかそういう所で論じるのが筋じゃないかな?
~だからダメ、~だから無理、~なのに無謀
そんな決めつけや縛りばかりのピアノなんてどうなんだろう?
感じるままに弾いて、聴いて、憧れて、追い求める。
そんなんじゃ、ダメですか?
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