2020.05.22
音のドラマ、「憧れ曲」と「身の丈曲」
今、時間があるのでいろいろな曲を譜読みしていてピアノに触るのが楽しくて仕方がない日々を送っています(#^^#)
もう、本当にちょっとずつしか弾いていない曲なんていうのもあったりして。
難しいところを飛ばして弾けたつもりになっていたりっていうのが多いですけどね~(まあ私の場合ほとんどの曲がそんな感じですが)
まあそれでも楽しい事には変わりなく、いわゆる憧れ曲なるものをつまみ食いしています。
「身の丈曲」って言い方はあまり好きじゃないですが、「憧れ曲」というものがあるのなら「身の丈曲」っていうのもあるんでしょうね…
思い起こせば2年程前、私はいわゆる「憧れ曲」を発表会で弾くために迷いに迷っていました。
「こんなに弾きこなせなさそうな曲を発表会で弾くなんて、どうなんだろう??表面上はなんとか弾けるようになってきたけど、自分の求めてるものと決定的に何か違う気がする…」
人前で発表するなら、自分なりに少しでも納得の行く形に仕上げたい、でも…
そういう気持ちでした。そのためには私にとっては準備期間が短すぎるような気もしたし、不完全な状態で臨むのであれば他の曲に変えた方が良いのかな・・・とか。
基礎=ツェルニー・ハノンと思っていましたし、ツェルニーだって40番ほぼ挫折みたいな感じでしたから、基礎が全くできてないのに大曲を弾きこなせるわけもない。
それよりはもっと短くてこんな自分でもあまり間違ったりせずに弾きこなせそうな曲の方が良いのでは…とか。
何より憧れていた曲なのに、とにかく自分の演奏が好きになれない事が何でなのかわからない。
練習もうこれ以上何をどうしたらいいのかわからない。
そんな時、kazさんのこの記事が目に留まりました。
・身の丈曲と憧れ曲(ピアノのある生活、ピアノと歩む人生より)
この中で、
“(憧れ曲にするか身の丈曲にするか)どちらがいいかという選択の問題よりも、実は大切なことがあるような気がする。身の丈曲と自分が思っている曲、ちゃんと弾けるかということ。音が並ぶということではなく、ホロヴィッツのように・・・とまではいかなくても、ざわついた客席、歓談中のフリータイムでの練習会などで、「トロイメライ」で周囲を静寂させることができるかどうか?つまり「えっ?なに?この人の演奏素敵・・・」と人を振り向かせることができるか?”
~中略~
“ブルグミュラーぐらいの段階から、音楽の成り立ち、音イメージ、それを具体的にサウンド化するために、指、腕、身体はどうすればいいのかということを、自分で整理できているか?そのようなことを具体的に指導されてきているか?”
~中略~
“「せっかく憧れ曲に挑戦したのに、弾けない・・・音は並ぶようになったけど、自分でもこんなの音楽じゃない」このように感じている場合、その曲が難しすぎるというよりは、身の丈曲とかソミレドソミレドでさえ、できないようなことが、あなたの行く手を阻んでいるのかもしれない。”
うーん、確かにそうだ。
なんとなく、「身の丈曲」(しつこいけどこの言い方は好きではないけど)なら・・・ちゃんと弾けそうだし・・・とか思いますよね?
いや、弾きこなせる=身の丈曲という事か?
でもどんなに私が「身の丈曲」と思っていても、「弾きこなせるから」と思ったとしても、楽譜通り寸分の違いも無く音を並べられたとしても・・・
「わぁ、素敵!」
って聞く人が思う演奏できるかな??と。
私には出来ないな…というか出来たためしが無いな…
そう思いました。
kazさんは例として
“ブルグミュラー、「ソミレドソミレド ドラソファドラソファ」という曲、最初のソミレドを弾いて、次のオクターブ高いドに行くとき、ここで一つの音場面がある。オクターブ高くなる、つまり8度という大跳躍なわけだから、そこに音のドラマがあるはずなのだ”
と書かれていますが、そういったことは正直思いつかなかったというか、子供の頃もそういうことは教えてもらわず、大人になっても知ろうともしなかったというのが実際のところなんですよね。
「音のドラマ」=気持ちの高ぶり、とかそのような解釈だとしたら、表面上なんとなく書いてある音を楽譜通り指示通り弾きました、っていう事だとつまらない演奏になってしまいますよね。
「低いドから高いドになった」という事は楽譜に音符として載っているけれど、「ではなぜ低いドから高いドになったのか?」
について深く考えたことが無かったです。
そういう事を感じながら弾くのと、ただ書いてある通り弾くのとの違い。
「ただ書いてある通り弾きました」っていう演奏は感動が無い、あっ素敵!が無い。そういう事なんだなと。
私はこの記事を読んだ時は、正直ぼんやりわかったようなわからなかったような感じでした。
(今でも完全に分かっていないのだと思いますが…)
でも、「弾きこなせそうな気がするから」で選んだ曲には思い入れも少ないので弾いてる自分も「音のドラマ」を感じにくい…
なんとなく音を出してみた…っていう演奏になりがち→聴く人は「あっ、素敵!」なんて到底思わないだろうな~
ってことはなんとなくわかりました(^^;
指の動きが良いとか悪いとか、もちろんそういう事もあると思いますが、弾いてる曲の「音のドラマ」を表現できるかどうかが聴く人を「ハッとさせる」か否かになるのかな…
もう、本当にちょっとずつしか弾いていない曲なんていうのもあったりして。
難しいところを飛ばして弾けたつもりになっていたりっていうのが多いですけどね~(まあ私の場合ほとんどの曲がそんな感じですが)
まあそれでも楽しい事には変わりなく、いわゆる憧れ曲なるものをつまみ食いしています。
「身の丈曲」って言い方はあまり好きじゃないですが、「憧れ曲」というものがあるのなら「身の丈曲」っていうのもあるんでしょうね…
思い起こせば2年程前、私はいわゆる「憧れ曲」を発表会で弾くために迷いに迷っていました。
「こんなに弾きこなせなさそうな曲を発表会で弾くなんて、どうなんだろう??表面上はなんとか弾けるようになってきたけど、自分の求めてるものと決定的に何か違う気がする…」
人前で発表するなら、自分なりに少しでも納得の行く形に仕上げたい、でも…
そういう気持ちでした。そのためには私にとっては準備期間が短すぎるような気もしたし、不完全な状態で臨むのであれば他の曲に変えた方が良いのかな・・・とか。
基礎=ツェルニー・ハノンと思っていましたし、ツェルニーだって40番ほぼ挫折みたいな感じでしたから、基礎が全くできてないのに大曲を弾きこなせるわけもない。
それよりはもっと短くてこんな自分でもあまり間違ったりせずに弾きこなせそうな曲の方が良いのでは…とか。
何より憧れていた曲なのに、とにかく自分の演奏が好きになれない事が何でなのかわからない。
練習もうこれ以上何をどうしたらいいのかわからない。
そんな時、kazさんのこの記事が目に留まりました。
・身の丈曲と憧れ曲(ピアノのある生活、ピアノと歩む人生より)
この中で、
“(憧れ曲にするか身の丈曲にするか)どちらがいいかという選択の問題よりも、実は大切なことがあるような気がする。身の丈曲と自分が思っている曲、ちゃんと弾けるかということ。音が並ぶということではなく、ホロヴィッツのように・・・とまではいかなくても、ざわついた客席、歓談中のフリータイムでの練習会などで、「トロイメライ」で周囲を静寂させることができるかどうか?つまり「えっ?なに?この人の演奏素敵・・・」と人を振り向かせることができるか?”
~中略~
“ブルグミュラーぐらいの段階から、音楽の成り立ち、音イメージ、それを具体的にサウンド化するために、指、腕、身体はどうすればいいのかということを、自分で整理できているか?そのようなことを具体的に指導されてきているか?”
~中略~
“「せっかく憧れ曲に挑戦したのに、弾けない・・・音は並ぶようになったけど、自分でもこんなの音楽じゃない」このように感じている場合、その曲が難しすぎるというよりは、身の丈曲とかソミレドソミレドでさえ、できないようなことが、あなたの行く手を阻んでいるのかもしれない。”
うーん、確かにそうだ。
なんとなく、「身の丈曲」(しつこいけどこの言い方は好きではないけど)なら・・・ちゃんと弾けそうだし・・・とか思いますよね?
いや、弾きこなせる=身の丈曲という事か?
でもどんなに私が「身の丈曲」と思っていても、「弾きこなせるから」と思ったとしても、楽譜通り寸分の違いも無く音を並べられたとしても・・・
「わぁ、素敵!」
って聞く人が思う演奏できるかな??と。
私には出来ないな…というか出来たためしが無いな…
そう思いました。
kazさんは例として
“ブルグミュラー、「ソミレドソミレド ドラソファドラソファ」という曲、最初のソミレドを弾いて、次のオクターブ高いドに行くとき、ここで一つの音場面がある。オクターブ高くなる、つまり8度という大跳躍なわけだから、そこに音のドラマがあるはずなのだ”
と書かれていますが、そういったことは正直思いつかなかったというか、子供の頃もそういうことは教えてもらわず、大人になっても知ろうともしなかったというのが実際のところなんですよね。
「音のドラマ」=気持ちの高ぶり、とかそのような解釈だとしたら、表面上なんとなく書いてある音を楽譜通り指示通り弾きました、っていう事だとつまらない演奏になってしまいますよね。
「低いドから高いドになった」という事は楽譜に音符として載っているけれど、「ではなぜ低いドから高いドになったのか?」
について深く考えたことが無かったです。
そういう事を感じながら弾くのと、ただ書いてある通り弾くのとの違い。
「ただ書いてある通り弾きました」っていう演奏は感動が無い、あっ素敵!が無い。そういう事なんだなと。
私はこの記事を読んだ時は、正直ぼんやりわかったようなわからなかったような感じでした。
(今でも完全に分かっていないのだと思いますが…)
でも、「弾きこなせそうな気がするから」で選んだ曲には思い入れも少ないので弾いてる自分も「音のドラマ」を感じにくい…
なんとなく音を出してみた…っていう演奏になりがち→聴く人は「あっ、素敵!」なんて到底思わないだろうな~
ってことはなんとなくわかりました(^^;
指の動きが良いとか悪いとか、もちろんそういう事もあると思いますが、弾いてる曲の「音のドラマ」を表現できるかどうかが聴く人を「ハッとさせる」か否かになるのかな…
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