FC2ブログ
   
10
1
2
3
4
6
7
8
9
10
11
13
14
15
16
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

音のドラマ、「憧れ曲」と「身の丈曲」

今、時間があるのでいろいろな曲を譜読みしていてピアノに触るのが楽しくて仕方がない日々を送っています(#^^#)

もう、本当にちょっとずつしか弾いていない曲なんていうのもあったりして。

難しいところを飛ばして弾けたつもりになっていたりっていうのが多いですけどね~(まあ私の場合ほとんどの曲がそんな感じですが)

まあそれでも楽しい事には変わりなく、いわゆる憧れ曲なるものをつまみ食いしています。

「身の丈曲」って言い方はあまり好きじゃないですが、「憧れ曲」というものがあるのなら「身の丈曲」っていうのもあるんでしょうね…

思い起こせば2年程前、私はいわゆる「憧れ曲」を発表会で弾くために迷いに迷っていました。

「こんなに弾きこなせなさそうな曲を発表会で弾くなんて、どうなんだろう??表面上はなんとか弾けるようになってきたけど、自分の求めてるものと決定的に何か違う気がする…」

人前で発表するなら、自分なりに少しでも納得の行く形に仕上げたい、でも…

そういう気持ちでした。そのためには私にとっては準備期間が短すぎるような気もしたし、不完全な状態で臨むのであれば他の曲に変えた方が良いのかな・・・とか。

基礎=ツェルニー・ハノンと思っていましたし、ツェルニーだって40番ほぼ挫折みたいな感じでしたから、基礎が全くできてないのに大曲を弾きこなせるわけもない。
それよりはもっと短くてこんな自分でもあまり間違ったりせずに弾きこなせそうな曲の方が良いのでは…とか。
何より憧れていた曲なのに、とにかく自分の演奏が好きになれない事が何でなのかわからない。
練習もうこれ以上何をどうしたらいいのかわからない。

そんな時、kazさんのこの記事が目に留まりました。

身の丈曲と憧れ曲ピアノのある生活、ピアノと歩む人生より)

この中で、

“(憧れ曲にするか身の丈曲にするか)どちらがいいかという選択の問題よりも、実は大切なことがあるような気がする。身の丈曲と自分が思っている曲、ちゃんと弾けるかということ。音が並ぶということではなく、ホロヴィッツのように・・・とまではいかなくても、ざわついた客席、歓談中のフリータイムでの練習会などで、「トロイメライ」で周囲を静寂させることができるかどうか?つまり「えっ?なに?この人の演奏素敵・・・」と人を振り向かせることができるか?”
~中略~
“ブルグミュラーぐらいの段階から、音楽の成り立ち、音イメージ、それを具体的にサウンド化するために、指、腕、身体はどうすればいいのかということを、自分で整理できているか?そのようなことを具体的に指導されてきているか?”
~中略~
“「せっかく憧れ曲に挑戦したのに、弾けない・・・音は並ぶようになったけど、自分でもこんなの音楽じゃない」このように感じている場合、その曲が難しすぎるというよりは、身の丈曲とかソミレドソミレドでさえ、できないようなことが、あなたの行く手を阻んでいるのかもしれない。”

うーん、確かにそうだ。
なんとなく、「身の丈曲」(しつこいけどこの言い方は好きではないけど)なら・・・ちゃんと弾けそうだし・・・とか思いますよね?
いや、弾きこなせる=身の丈曲という事か?
でもどんなに私が「身の丈曲」と思っていても、「弾きこなせるから」と思ったとしても、楽譜通り寸分の違いも無く音を並べられたとしても・・・
「わぁ、素敵!」
って聞く人が思う演奏できるかな??と。

私には出来ないな…というか出来たためしが無いな…

そう思いました。

kazさんは例として

“ブルグミュラー、「ソミレドソミレド ドラソファドラソファ」という曲、最初のソミレドを弾いて、次のオクターブ高いドに行くとき、ここで一つの音場面がある。オクターブ高くなる、つまり8度という大跳躍なわけだから、そこに音のドラマがあるはずなのだ”


と書かれていますが、そういったことは正直思いつかなかったというか、子供の頃もそういうことは教えてもらわず、大人になっても知ろうともしなかったというのが実際のところなんですよね。

「音のドラマ」=気持ちの高ぶり、とかそのような解釈だとしたら、表面上なんとなく書いてある音を楽譜通り指示通り弾きました、っていう事だとつまらない演奏になってしまいますよね。

「低いドから高いドになった」という事は楽譜に音符として載っているけれど、「ではなぜ低いドから高いドになったのか?」
について深く考えたことが無かったです。

そういう事を感じながら弾くのと、ただ書いてある通り弾くのとの違い。

「ただ書いてある通り弾きました」っていう演奏は感動が無い、あっ素敵!が無い。そういう事なんだなと。

私はこの記事を読んだ時は、正直ぼんやりわかったようなわからなかったような感じでした。

(今でも完全に分かっていないのだと思いますが…)

でも、「弾きこなせそうな気がするから」で選んだ曲には思い入れも少ないので弾いてる自分も「音のドラマ」を感じにくい…

なんとなく音を出してみた…っていう演奏になりがち→聴く人は「あっ、素敵!」なんて到底思わないだろうな~

ってことはなんとなくわかりました(^^;

指の動きが良いとか悪いとか、もちろんそういう事もあると思いますが、弾いてる曲の「音のドラマ」を表現できるかどうかが聴く人を「ハッとさせる」か否かになるのかな…


スポンサーサイト



ね~み♪さん こんにちは

私も「身の丈曲」という言葉は,その人の可能性を狭めたり,やる気を損ねたりするのではないかと思います。

そして「音のドラマ」を聴いている人に感じてもらえる演奏を私もしたいのですが,難しいですね。

そのための練習法というのが,多分,機械的な練習だけでは無理なのでしょうね。
どういう風にしたら良いか,日々悩みながら試行錯誤しています。

kazさんのブログは,具体的で分かりやすくて本質的な問題にせまっていて,もっともっと読みたかったです。

モモさんへ

モモさん、コメントをありがとうございます(#^^#)

「身の丈曲」、イメージはわかりやすいというかなんとなく通じる気もしますけど、でも、ね(笑)あまり使いたくは無いかなという(^^;
「自分のレベル相応」というのも自分のレベルがまずわからないし、「レベル」っていうのも個人的には使いたくないし(^^;←難しい…
確かに言葉によってはヤル気を損ねる可能性があるかもしれませんね。

「音のドラマ」私もなんとなくでしか理解できてないけれど、楽譜をじっくり見たり、練習を重ねたり、良い演奏をたくさん聞く中で理解できてくればいいなと思います。

kazさんのブログは時々いろんなところを読み返しています。
音楽(演奏)も記事もたくさん表現したい・伝えたい気持ちが溢れて迫ってくる気がします。
kazさんファンとしては本当にもっともっと読みたかったですね…。



No title

本当に、いつもねーみさんの日記を読むと、うなずいてばかりです。

私はピアノをスポーツのように習った気がします、今は違うと知ってますが。
こうやる!と言われた通りに弾いて、ひたすら練習量で訓練訓練。
子供時代に、もっと音楽的な考え方等を教えてほしかったなとは思います。

下手になりたくないから練習はさぼりませんが、上手になった気がしません。
むしろ下手になってる気がして、憂鬱です。
身の丈・憧れのギャップにも日々苦しんでいます、しかもギャップは広がる一方です。

ぜひ一度チャットかテレビ会議したいです、語ると長くなりそう。。

りんさんへ

りんさん、コメントをありがとうございます(*^^*)
そして記事に共感していただいて嬉しいです(*^^*)

ピアノをスポーツ感覚で…というの、わかる気がします。
私の捉え方が合っているかはわかりませんが、ピアノを習う時に、先生から課題を出され、それを指の運動としてクリアーして次に進む…ということを小さい頃私はやってきたような気がします。
なので同じような感覚でなさってきたのかな?と。違っていたらすみません。

そして大人になってから、音楽を表現することは指の運動では無いと気付いた。
私は気付いたのがここ何年かです(^^;
全然弾けてない、というわけじゃないのに何かが違う。
そんな思いをずっと抱えて技術や基礎が足りないのが原因だと思っていました。
もちろん足りないんだけど、それだけじゃなかったんですよね。

今度りんさんのブログにお邪魔させていただきますね。コメントできるのかな?

No title

ねーみさん、初めまして いつも、深く細やかな言葉で語られる音楽、ピアノを弾くことのお話、とてもいろいろなこと、考えさせられます。曲の難易度、一律ではなくて、手、体など、フィジカルなこと、聴いてきた音楽、絵や本などや、楽曲をどうとらえるかなど、メンタルなこと、国やメソッドによっても、かなり違うので、戸惑うことが多々あります。大切に練習を重ね、曲に内在するものへの共感を聴く人たちと分かち合うこと、あるいは、自分一人で曲と語り合う練習は、大切なものは、大切に、もっと大切なものは、もっと大切に、という心で、作曲家にも伝わると信じて。

フルーツタリアンさんへ

フルーツタリアンさん、初めまして。そしてコメントをありがとうございます(#^^#)

ただのピアノ好きな素人の記事ですが共感いただき嬉しいです!
その時々の移ろいやすい気持ちを感じたままに書いておりますが…(^^;

表面的ないわゆる「曲の難易度」と、「音楽的に弾ける」って事は実は違っていたりするものなんだなぁと最近になってようやくわかってきました。

自分が今まで「弾けた」と思っていた事は振り返ってみると本当にそうなのかな?とか…
でもその時点では自分なりに精一杯だったのならそれはそれで大切な思い出だし否定はしないでおこう…とか。

これからも行きつ戻りつ迷いながらのピアノになると思いますがどうぞよろしくお願いします(#^^#)

No title

お久しぶりです。
kazさんの書かれたお話の紹介、なんだかとても納得がいきました。
文章を書くときには頭と心を使いますが、音楽を紡ぐときには主に心を使っている感じがあります。音の流れの変わる瞬間に自分の心がついていっているかどうかということで、それだけ共感できる曲もまた多くはない気がするのですが、「素直な心」はとても好きな曲だったので納得がいきました。
逆に、心(気持ちが)がふさがっていると、共感出来る曲の幅が狭まって、どれも弾きたくなくなる感じになってしまい、しばらく何も弾けなくなったことがあります。

ゆきなぎさんへ

ゆきなぎさん、お久しぶりです(#^^#)そしてコメントをありがとうございます(#^^#)

≫文章を書くときには頭と心を使いますが、音楽を紡ぐときには主に心を使っている感じがあります

おお~、名言ですね!ゆきなぎさんらしい比喩だな~と感じます。

≫音の流れの変わる瞬間に自分の心がついていっているかどうか

本当にそうですね、そういう事が誰にも教わらなくても感覚的に出来てしまうのは元々音楽的なセンスが備わっているのかなと思います。(私は出来ませんでしたが…)

気持ちが塞がっていると共感できる曲の幅が狭まって

というの、わかります。私も弾きたくなくなるというか時間があっても気持ち的に弾けないという時も結構あります。
ピンとくる曲に出会わなければ弾きたくなくなるし…
Secret

記念日

プロフィール

ね~み♪

Author:ね~み♪
子供の頃習っていたピアノ。
2013年より25年ぶりに再開、
2014年3月より先生について習い始めました。
夫と二人の子供がいるアラ50です。

※管理人が不快に思うコメントがありましたら予告なく削除させていただきます。


※限定記事について
ブロとも・パスワード申請につきましては
お会いした方・ある程度のコメントのやりとりのある方に限定させていただいております。
なお、パスワードは定期的に変更しておりますのでお問い合わせください。
よろしくお願い致します。

最新記事

コメントありがとう♪

カテゴリ

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

リンク

カレンダー

09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ピアノのなかまたち

みんなの記事

ご来訪ありがとう♪

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる